えびのの山間に残る記憶|分校・集落・そして50年後の景色

こんにちは、いちごのシニア通信局です。

先日、わたしは“心のアルバム”を開くような小さな旅に出ました。
50年前、4年間勤務していた山あいの分校を訪ねたのです。

当時は必死で過ごしていた毎日も、シニアになってから振り返ると、
「あぁ、あの場所がわたしを育ててくれたんだなあ」と、しみじみ思えてくるのが不思議ですね。


標高700m、えびの市の山あいにあった分校へ

大きくなった杉の木(人物と比べてみて)  撮影:筆者

わたしが勤めていたのは、えびの市の山間部。熊本県境に近い小さな集落です。
標高は670〜700m。初冬の晴れた日に訪れると、空気がすっと澄み渡っていました。

校舎はもう残っていませんが、周囲の杉の木が当時よりもずっと大きく育ち、
「半世紀って、木にとってはこんなに成長する時間なのね」と実感。
自分の白髪の本数と比べて、ちょっと苦笑いです。


運動場、こんなに狭かったの? と驚く

児童数は11名から7名ほど。運動会は“地区総出”の地域の大イベントでした。

久しぶりに運動場跡に立ってみると、
「え?ここで運動会したの?」と驚くほど狭い。
でも、子どもたちの歓声を思い出すと、心の中だけはいつも広々していた気がします。

シニアになって思うのですが、昔の思い出は“広く”残るのがいいところですね。


氷点下13度の冬。油も水道も凍る暮らし

12月初めの池に氷  撮影:筆者

冬の寒さは、今思えばよく耐えられたものです。
今回も、12月初めの良く晴れた日の昼前に、この氷です。

  • 池は子どもが乗れるほど凍る
  • 最低気温は −13度
  • 一升瓶のサラダオイルが凍るので「冷蔵庫へ入れる」
  • 水道は止めると凍結するため、夜通しちょろちょろ出しっぱなし
  • そのせいで 水源が枯れる こともあった
  • 暖房用灯油、ドラム缶1本

シニアの今なら、確実に「冬季休業したいです」と言っていたかもしれません(笑)

でも、若かったわたしは「こういうものだ」と受け入れ、
むしろ子どもたちと一緒に、地面が凍った朝の運動時間を楽しんでいたのだから不思議です。
日が昇ると地面がぬかるみ、遊ぶこともできませんでした。


人がいなくなった集落、そして“害獣”という現実

田畑の周囲には金網  撮影:筆者

林業と農業で成り立っていたこの地区も、今は人が住んでいません。
驚いたのは、田畑すべてが金網で囲われていたこと。

その金網の高さや厚みが、どれほど害獣被害が深刻かを無言で伝えてきます。
50年前には考えもしなかった変化です。

シニアになると、時代の流れの大きさが身に沁みますね。


思いがけない再会が、時間をつなぐ

教え子の娘さんと夫  撮影:筆者

集落を散策中、偶然にも50年前の教え子のお嬢さんがハウスの作業に来ておられ、
「〇〇の娘です」と声をかけてくださいました。

教え子のみならず、地区で暮らしておられた方々の消息など聞くと、胸がじんわり。

教え子本人と話したわけではないのに、
あの教室の続きが、今もどこかで静かに息づいているような気持ちになりました。


シニアにこそ“思い出の場所を訪ねる旅”を

今回の訪問で感じたことがあります。
シニアにとって、こういう旅はとても良い心の栄養になるということです。

  • 自分の歩んできた道を再確認できる
  • 若い頃の自分に出会える
  • これからの人生への小さなヒントが生まれる
  • 人とのつながりが再び芽を出すこともある

ただ懐かしいだけでなく、心がふっと軽くなる。
“思い出の場所の再訪”は、シニアの人生をより豊かにしてくれると感じました。

わたしにとっても、今回の旅は大切な宝物になりました。

プロフィール
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いちご

元校長、今、“バリバリのシニア女子!”
人生は「一期一会」!
今は、校則も時間割もない毎日を満喫しながら、ブログに挑戦!
笑って転んでまた笑う。人生の通信簿に『ワクワク賞』がもらえたらうれしいな。
「シニアの日常に、ひと粒のワクワクを!」
モットーは、“老いても笑えば、日がまた昇る”。
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