お盆の思い出(昭和30年代 宮崎県南部の農村)

アイキャッチ画像は、AIを使って作成しました

こんにちは、「いちごのシニア通信局」です。
今日は、私の心にずっと残っている昭和30年代のお盆の思い出をお話しします。舞台は宮崎県南部の農村地帯。今ではなかなか見られなくなった、独特のお祀りの風景です。

精霊棚と祖母の献立

イメージ(AIで作成)

お盆が近づくと、客間の真ん中に精霊棚精霊しょろさま)を組み立てます。
畳半畳ほどの木製で、私の家ではお供え物作りの主導権はこのころは祖母。8月13日の昼から15日の夜まで、すべて精進料理の献立が一食ごとに決まっていました。
わたしたちも同じものを食べます。

縁側で祖母が盛り付ける様子を、子どもながらにじっと見ていました。縁側で盛り付けるのもお盆ならでは。精霊用の小さなお膳に小さな漆の食器。そして箸はなんと盆花の枝(つまようじぐらい)。
供えた料理は2時間ほどで下げられ、そのあとは子どもたちのお楽しみ。弟たちと喜んで食べた味は、今も忘れられません。


15日の午前、お墓へ団子を

お盆の最終日、15日の午前中にはお墓に団子とズイキをさいの目に切って米粉をまぶしたものをお供えします。これは、ご先祖様があの世に帰られたときの食べ物。お墓に行くのは私と祖母の役目。一つ一つのお墓にお供えしていきます。今のような暑さではなかったので、苦にはならなかったようにあります。


独特な送り火

この地域ならではの風習が、15日夜中の送り火

午後12時ごろになると、まず魚の干物を焼いて家じゅうに匂いが充満するようにします。これは、精霊しょろさまが長居をされないようにするのだとか。つまりそそくさとあの世へ帰っていただくためだと聞いています。
竹の先に巻き付けたたいまつに精霊棚のろうそくから火を移します。それを地区を流れる小川のへりに立て、煮しめとおむすびを川に流すのです。

各家から送り火が運ばれるさまは、たいまつ行列の様で忘れられません。川沿いには、各家の送り火が並び、まるで光の道のよう。川をのぞくと送り火の灯りにカニやフナなどが寄ってきて、投げ入れたおむすびを食べています。静かで、荘厳で、どこか胸が締めつけられるような光景でした。
ほかの地区が同じだったかはわかりませんが、私のふるさとでは、大人になってもこの風景が続いていました。


受け継がれる想い

今では、精霊棚を設置する家庭は少なくなったそうです。私も親も亡くなり実家もなくなりましたが、県外に住む弟家族がこのお祀りを続けてくれています。祖母から聞き取った献立をもとにしているそうです。
私の家は神道なので、同じ祀り方はしません。それでも、お盆になるとあの情景と香りがよみがえり、心が温かくなります。

時代は変わっても、先祖を敬う気持ちは子や孫に伝えていきたい——そんな思いを、今年も胸に抱いています。

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